こんにちは。キープキャリエールの原澤です。
今回もバレンタインチョコのお話です。
前回、「友チョコ」を糾弾する内容を書かせていただきました。
友チョコは「本命チョコ」になりえない存在と定義すると、果たして「義理チョコ」と「友チョコは」どちらが権威があるのだろうか?
そして、男子諸氏の誤解を招き、自尊心を損ねかねない(友チョコを渡している女子からでさえ、義理チョコを貰えなかったら大ショック)この「黒船」を水際で防がねばならないと。実際には上陸してしまったので「水際作戦」は行動に移す前に失敗に終わっていますが。。。
そこに、新たな説が!
「友チョコ」は「別物?」という説です。
別物とはいかがな視点か?
「友チョコは」同性どおしの親愛の情のしるしなので、その場で「プレゼント交換」をするイメージです。
つまり、「ホワイトデー」のような「後で、お返し」という風習はないとのことです。
そう考えると、愛のあかし、感謝のしるし「バレンタインチョコ」とは異質です。なぜなら、「本命チョコ」であろうが「義理チョコ」であろうが、そこには男性からの「お返し」が存在するからです。
ここが大きなポイントです。
女性からの愛情、感謝に対しきちんと別日程で「返礼」をするという文化、何とも美しい。これぞ、古き良きバレンタインデーとホワイトデーのあるべき姿です。
「友チョコ」は「名刺交換」のように、その場で「あげっこ」をするわけです。
儀式が絡んでいません。
そう考えると、同じチョコを贈るという事柄も「本命チョコ」や「義理チョコ」とは似て非なる存在であることがわかります。
そうです。私は目くじらを立てる必要がなかったのです。
バレンタインチョコの本質・核心は損なわれていなかった。。。
安心しました。
理論的に、理性で判断すれば「友チョコ」は敵視する存在ではなかったのです。
ただ、「友チョコ」を私渡している女子から、「義理チョコさえ貰えない」という屈辱感と脱力感は残ることでしょうが。。。。
今回はここまでです。
それでは、ゴキゲンヨウ。