枕草子の一節に「風の音(おと)、虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず」というものがありまして
音を「おと」と読むか「ね」と読むかを昔の人は明確に使い分けていたわけです
と、言うより
「おと」と「ね」に同じ漢字「音」を当てはめたと言った方が適切かもしれませんが
「おと」は比較的大きな音で、心地よいものではないもの
「ね」は比較的小さな音で、心地よいもの
しかし清少納言はどちらも「秋の夕暮れにぴったりだ」として肯定的に捉えていますね
私はツクツクボウシの「おと」が聞こえてくると、もう夏も終わりだなぁと感じてからその「ね」に聞き入ります
さて、私達が普段誰かに投げかける言葉というのは、「おと」なのか「ね」なのか
日本古来の感性は現代人と交差することでどのような意味を持つのでしょう