教育業界に入る前、弁護士になりたかった時期がありました。
大学も法学部を選び、当時の司法試験にチャレンジしたこともありました。
てか、教育業界に入ったきっかけも「司法試験の勉強時間と勉強の勘を維持確保するため」というものでした。
弁護士になりたかった理由は、犯罪の被害者となった人を守りたいから、ありがとうと言われたいから=自分の存在価値を自認したいから、というものだったと今は思います。
いざ教育業界に入ると、「ありがとう」と言われる機会が増えました。
生徒や保護者からそう言われると自分の承認欲求が満たされます。
「ありがとう」と言われるような仕事をしようとモチベーションが上がりますし、私も周囲に対し「ありがとう」と言葉にする機会も増えました。
いつしか法曹業界への憧れはなくなりましたが、人生をやり直したいとは思いません。
子供たちの成長に関われる上に自分も成長できる職場。
教育業界はやはり自分の天職だと思っています。
現場の教室から離れ、直接生徒や保護者と関わることはほとんどなくなりました。
週に1回だけ、古巣のいわき植田校に行く時だけは、私を「先生」と呼んでくれる人に会うことができます。
でもそれは「昔ここにいた人」というもので、後進のためにもそうでなければならないものです。
そして数年後には私を「先生」と呼ぶ人は皆無になることでしょう。
「ありがとう」と「言われる」ことは、極端に減りました。
その代わり「ありがとう」と「言う」ことが反比例的に増えました。
部門を包括的に見たとき、「ありがとう」と言える仕事をしたいと思います。
「ありがとう」と「言われる」ことと「言う」ことは、きっと同価値だと思うので。