自分で決めたタスクを消化する際、私は自分勝手に納期を設定します。
もちろん外的に納期が設定されている場合はそれが納期になるのですが、この場合は自分がやろうと思っていることに限定します。
で、
自分で勝手に設定した納期を破った時、「忙しかったからなぁ」と反省するのですが、そこでふと立ち止まりました。
「忙しい」とは何か。
仮に「忙しい」とは自分の感覚とするならば、「忙しくない」と思えば忙しくないことになるのではないか、と。
例えば私はルアーフィッシングを趣味としていますが、釣りって実はせわしなく動くのです。
ルアーを投げて巻いて移動して投げて巻いて…の繰り返しで、これは傍目から見ればおそらく「忙しそう」となります。
しかし本人は別に「忙しい」とは感じていないのです。
また別の話で、私は学生の頃ジムカーナというモータースポーツの一種に興じていました。
決められた一定のコースをいかに速く車で駆け抜けるかという競技なのですが、ステアリング操作もペダル操作もシフトチェンジも非常にせわしなく動きます。
しかし本人は別に「忙しい」とは感じていないのです。
両者に共通しているのは、「楽しい」から「忙しい」とは感じない、ということです。
さて、今私は仕事を楽しんでいます。
神経を遣うことも多く悩むことや迷うことも多くあり、精神的にも肉体的にも疲れますが、総じて「楽しい」と感じています。
ところが家に帰ってハイボールを一杯飲んで出る言葉が「忙しかったなぁ」なのです。
「楽しい」から「忙しい」とは感じないはずなのに、何故か仕事が終わると「忙しかった」という言葉が出るのです。
本音で「忙しい」とは思っていないんですよ、実際。
充足感から出る言葉が「忙しかった」というだけであって、おそらくこれは仕事が終わった時の口癖になっている可能性があります。
そこで家に帰って一息ついて言う言葉を「楽しかった」に変えてみました。
するとどうでしょう。
まるで丸一日趣味に興じていたような感覚で美味しく酒が呑めました。
学生の頃格闘技を嗜んでいましたが、試合後はやはり「楽しかった」でした。
試合中はせわしなく動いてまるで「忙しそう」に見えるけれど、終わったら「楽しかった」わけです。
ビールが美味しかったです。
結局のところ。
楽しんでいれば忙しくはないんだなと。
「忙しい」が口癖になって、本当に「忙しい」と思い込んでいたなと。
同時に、人生の少なくとも3分の1くらいは仕事に時間を費やすのだから、「楽しく」過ごした方がよほど有意義であるなと。
「楽しい」と思えるかどうかは自分でコントロール可能と思います。
格闘技の試合で勝つために筋トレしたりスパーしたりは疲れるし痛いしで忍耐が必要ではあります。
しかしやっぱり「楽しい」
仕事も一緒じゃないかと思います。
成果を出すには疲れることも我慢することもありますし、常に報われるとは限りません。
成功は次へのステップアップ。
失敗は次へのガイドポスト。
気の持ちようと捉え方、そして先を見つめること。
そのあたりが重要なのかなと思います。
楽しみましょ